ドラゴンクエストVIの箱・説明書入りが安かったのを見かけて購入。いつかやりたいとは思っていてスマホアプリ版は購入済だけど積んでいるものだ。
熱心なコレクターではないけれど、こういうゲームの歴史に名を残すものや思い入れのあるゲームは安かったら集めるようにしている。
ゲーム購入したらまずは説明書を読んでこれからはじまる冒険に想像を膨らませてわくわくしていたものだけど、こういう説明書はすっかり見なくなってしまったなぁ。
同じように説明書から読むのを楽しみにしていた人もいただろうにどうして説明書はなくなったのか、この説明書を眺めながら理由を考えてみたくなった。
その前に、説明書に書かれていたこと挙げてみる。
・あらすじ
・舞台となるマップ
・キャラクター紹介
・操作説明
・システム説明
・登場するアイテム、装備の説明やイラスト
これらはどこへ行ったのだろうか?
最も単純な理由。作成する工数コストとパッケージに入れる紙資源コストの削減だ。
最近では資源の節約を重要視する声が大きくなっているが、説明書がなくなり始めた頃は今ほど大きな声で言われてはいなかった。
だから必要性と需要があれば簡単になくすことはできなかったはずだ。ということは、その必要性と需要が失われていったということになる。
パッケージに説明書が含まれているのが当たり前な時代では説明書が読まれていることを前提にゲーム内で細かい操作説明やシステム説明をしないことが多かった。
それが現代では序盤にチュートリアルが入ることは当たり前になっている。それも強制的にしっかり時間を取ってやることがよくある。説明書を読んだ上でゲーム内チュートリアルをされたら二重説明になるし、それなら説明書は無くていいよねってなるのは納得できる。チュートリアルをスキップできるようにすればって話ではあるし、説明書の有無に関わらずスキップは付けてほしいものだ。
あとはマルチプラットフォーム化というのも理由になると思う。
プラットフォームによってAボタンがBボタンだったり○ボタンだったりで異なる。些細な違いだがそれぞれの説明書を作るのはコスト増に直結するし、全てを含める説明書にしたらそれはそれでページ増でコストが膨らんでしまう。
インターネット(スマホやPC)が普及してトレーラー映像やSNSで購入する前にどんなゲームなのか調べて知っていることが今では当たり前だ。
そこで既にあらすじ、登場人物、世界観、システム概要など説明書に書かれていたことは大体把握することになり、改めて説明書を見る必要はなくなった。
インターネット普及前なんて今考えたら嘘みたいな話だが、パッケージを見て惹かれたから購入する、いわゆるパケ買いをすることがあった。何も知らない状態だから、あらすじや登場人物のことをいち早く知ることができる説明書はとてもわくわくするものだった。
「挿絵の武器とか道具のイラストを見て世界観に浸りたい」という意見がある。
あれはドット絵のファミコン時代とかは実際の装備とかアイテムがどんな姿形をしているのか想像するしかなかったから想像力を補うために求められていたと思うけど、グラフィックの進化によりゲーム画面でその姿形がそのまま見られるようになった現代ではそこまで重要ではなくなったのだろう。
これまで挙げた理由を含めて読まれなくなっていった。
ゲームの説明書を読んでいるかどうか信用できるアンケートをしているメディア、記事はなかったけれど、スマホや家電製品の取扱説明書を読んでいるかどうか、遊び慣れたゲームジャンルのチュートリアルをスキップしているのかで考えたら個人的な体感に過ぎないけど、どちらかといえば読まれていないんだろうと感じる。
ここまで考えて説明書がないことは納得するし、なくても困らないはずなのに、どうしてパッケージ版のゲームを買って開いたとき「説明書ないな……」といちいち思うのはあの頃のわくわくを忘れられないからなのかな。